お彼岸について
月曜日, 8 月 31st, 2009春の彼岸と秋の彼岸
毎年、春分の日と秋分の日のことを民間では「お彼岸(ひがん)」といい、お墓詣りをして先祖の霊を供養したりします。
春分の日、秋分の日は毎年だいたい3月20日頃、9月23日頃に来ます。正確な日取りはここを参照して下さい。民間行事のお彼岸ではこの日をお彼岸の「中日(なかび)」といい、その前後一週間をお彼岸の期間として、最初の日を「彼岸の入り」最後の日を「彼岸の明け」といいます。1998年の場合は秋の彼岸は9月20日に入って23日が中日。26日が明けになります。
また、この時期にはぼた餅またはお萩を食べる習慣があります。
彼岸とは(仏教説)
彼岸とはその名の通り「岸の向こう」。その向こう岸とは悟りの世界のことです。サンスクリットではパーラミター(波羅蜜多)といいます。様々な苦に悩む煩悩の世界(此岸)に対する言葉ですが、日本の特に浄土系の信仰では一般に死後は阿弥陀如来の導きにより人は彼岸に渡ることができる、と考えられているため、既に彼岸の世界へ行った人たちを供養するとともに、まだ辿り着けずにいる人たちに早く向こうへ辿り着けるように祈る、というのがこの彼岸の仏事の趣旨となります。
お寺ではこの一週間法要を続けますし、また住職が檀家を回って各家庭でも法事を行います。歴史的には大同元年に早良親王の霊を慰めるため行われたのが最初とされ、平安時代以降続いて来ています。春分?秋分の時期にこの彼岸法要を行うのは、太陽が阿弥陀如来の浄土の方角である真西に沈むためであるといわれています。つまり阿弥陀浄土を観じるのに最適ですし、迷っている人にとっては太陽の方角が進むべき道ということになります。
彼岸とは(民俗説)
一方彼岸の語源は「日願」であるという説もあります。これは古来からある太陽信仰の系統のものです。
太陽信仰の側からも春分?秋分は太陽が真東から出て真西に沈むとともに昼と夜の長さが同じということで、これは非常に重要な節目でした。「日の願」ということばもあり、これから「日願」になったとも言われています。「日天願」と呼ぶ地方もあるそうです。
一般にこういった日本の行事というものは仏教と民間信仰が様々にミックスされているものです。
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉もあるように、この時期が季節の変わり目になります。
春季皇霊祭?秋季皇霊祭
明治維新は政治的にも武家の政治を終焉させ近代民主国家への道を切り開くものでしたが、宗教界にも大きな変革を強要しました。その中心が江戸時代にキリスト教対策で重視されていた寺を排斥?弱体化させるとともに、明治維新の原動力の一つとなった国学の流れを汲む国家神道を樹立して、全国の神社を皇室に縁の深い伊勢神宮を頂点とするヒエラルキーに組み込もうと図りました。
この動きはいわば皇室の神道の普遍化を狙ったものともいえますが、そのため初期の段階では歴代の天皇の命日を全て新暦に換算した上で、その命日全てにお祭りをする、という企画が立てられました。
しかし。。。天皇といっても初代神武から、明治天皇の先代の孝明天皇まで121代に及んでいますので、これを全て命日のお祭りをするのは、実際やってみると非常にたいへんことでした。そこで明治政府は早々にこの方法に根を上げて、結局神武天皇の命日(4月3日)と孝明天皇の命日(1月31日)のみを残して、あとは民間でも先祖供養の日としている春?秋のお彼岸に春季皇霊祭?秋季皇霊祭としてまとめてお祭りすることになったものです。
春季皇霊祭?秋季皇霊祭は明治11年に祝日として定められ太平洋戦争の終わりまで続きました。戦後の春分の日?秋分の日は戦前のそういう趣旨は排除した上で、もともとの民間の先祖供養の日としての趣旨のお彼岸を復活させたものです。
昼と夜の長さが等しい日?
春分と秋分というのは小学校の授業を思い出していただくと、次のような特性の日である、と習ったのではないかと思います。
昼と夜の長さが等しい日
太陽が真東から出て真西に沈む日
これは、まぁまぁ正解なのですが、多少精度を欠いた話です。
■昼と夜の長さは等しくない
1998年の秋分の日9月23日の東京での日出?日没の時刻は5:29と17時38分です。つまり昼の方が18分長い計算になりますね。なぜ、こういうことが起きるのでしょう?
実はこれは太陽が点ではなく大きさを持っているからです。つまり太陽の一部が水平線の上に出ればもう日出であるのに対して、日没は太陽が全部沈んではじめて日没になります。ですから日出?日没が太陽の中心点が水平線から出た時?沈んだ時であるのなら昼と夜の長さは(ほぼ)等しくなりますが、実際には太陽の大きさの分だけ昼が長くなってしまいます。
従って、ほんとうに昼と夜の長さが等しいのは春分の数日前?秋分の数日後で、1998年の場合は3月17日、9月27日がほぼ昼と夜の長さが等しい日になっています。
■真東から上らないし真西には沈まない
もし春分?秋分が日出と同時に起きれば、その時太陽は確かに真東にあります。またもし春分?秋分が日没と同時に起きれば、その時太陽は確かに真西にあります。
しかし実際には春分?秋分は、春分の日?秋分の日の何時かに起きるだけのことですから、日出?日没は実際には真東?真西からは微妙にずれます。1998年の秋分は9月23日14:37なので、日出は真東からわずかに北、日没は真西からわずかに南で起きることになります。もっともこのずれは非常にわずかですから、実用上は真東?真西と考えても差し支えありません。
じゃあ一体何なの?
それでは、春分?秋分というのは、正確には何なのでしょう??
太陽の見える位置が天空を1年かけて一周していることはご存じでしょうか?
地球は太陽の回りを1年かけて回っていますので、地球から太陽を見る方角も1年かけて1周するわけです,ANT KING。例えば、地球が太陽から見て魚座の方角にあったら、地球から太陽を見た時は太陽は魚座の反対側の乙女座の方角に見えることになります。
この地球から太陽が見える位置というのは天空上でひとつの円を形成することになりますが、この円のことを『黄道』と呼んでいます。
一方天空上には『赤道』というもうひとつの円もあります。黄道は地球の公転運動により形成されるものですが、赤道は地球の自転運動により形成されます。
すなわち、地球は約24時間かけて自転をしていますが、そのため天空上の星の見える方角も時間ごとに移動し、やはり約24時間で一周してきます。しかし地球の自転の軸の方角にある星は原理的に動きません。これが天の北極?南極と呼ばれるもので、北半球では北極星(小犬座のポラリス)がその天の北極のすぐ近くにあって夜の方位のガイドの役割をしてくれます。
天の赤道というのは、この天の北極と南極から等距離にある点を結んだものです。これは地球の赤道をそのまま天に投影したものということもできます。
さて、これでやっと話が元に戻ってくるのですが、春分?秋分というのは、要するに太陽の中心がこの黄道と赤道の交差点(春分点?秋分点)を通過する瞬間のことをいいます。この瞬間太陽は赤道のちょうど真上に来ることになり、春分から秋分までは北半球に、秋分から春分までは南半球にあり、季節の分岐点となります。
それ故まさに『暑さ?寒さも彼岸まで』な訳です。
寺が彼岸なら神社は社日
さて、日本の民俗行事というのは、平安時代末期頃からお寺系と神社系とが分離される傾向が出てきました。この結果たとえば盆は寺の管轄、正月は神社の管轄、子供が産まれた時は神社の管轄、死んだ時は寺の管轄、といった共存分離の原則が長い間に出来てきた訳です。
お彼岸という行事も本来は仏教も神道もあまり関係なかったのではないかと思われますが、お彼岸の中日にはお寺での供養という流れができてしまったため、神社では『社日』というのを設けて、事実上お彼岸の行事をするようになりました。
社日は現在春分?秋分に最も近い戊の日、と定められています。1999年の場合春の社日(春社)は3月17日、秋の社日(秋社)は9月23日(今年は秋分と一致する)です。農業のスケジュールでいくと、だいたい春社が種まきの時期、秋社は収穫の時期で、各地農村ではこれに合わせて餅をついたり神社を回ったりといったことが行われていました。
お彼岸の定番お菓子
都会で暮らす若い方などで、田舎のお母さんがお彼岸にお萩(おはぎ)あるいはぼた餅を持ってきてくれるのを楽しみにしておられる方もあるのではないでしょうか?
お萩?ぼた餅というのは現在、お彼岸に作る(食べる)定番のお菓子になっています。
■お萩とぼた餅は何が違うか?
基本的には、あんこの中に入っているのがご飯(餅米を握ったもの)である場合をお萩といい、突いて餅にしている場合をぼた餅といいます。
しかし実際には現在両者はほとんど混合され、このふたつの言葉はほとんど同義で使用されているようです。
■秋はお萩?春はぼた餅
一般には、春作るのがぼた餅で、秋に作るのがお萩である、とされています。これはぼた餅は牡丹の季節に作るもの、お萩は萩の季節に作るもの、ということから来ています。
しかし、これも明確に区別をしている人はあまりいないのではないかと思います。
重陽の節句
9月9日は重陽の節句です。
中国の陰陽思想では、偶数を陰、奇数を陽とします。9は奇数の数字の中で最大のものですので、9は陽が極まった数字と考えます。そして9月9日はその極まった9が重なっているので「重陽」といいめでたい日としました。
日本では平安時代から行われるようになり、宮中では杯に菊の花を浮かべて酒を飲み詩歌を読んで楽しみました。「菊の節句」ともいいます。
また、この時期秋の七草を集めて愛でる習慣もありました。秋の七草は次のものです。
萩(はぎ)
薄(すすき,尾花)
葛(くず)
撫子(なでしこ)
女郎花(おみなえし)
藤袴(ふじばかま)
桔梗(ききょう)
おくんち
「おくんち」は主として西日本で行われている秋祭りですが、これは「お九日」が音便変化したもので、元々は9月9日のことです。しかし現在「おくんち」は新暦になったことにより必ずしも陰暦9月9日には行われず、その地区により10~11月の適当な時期に行われています。基本的には収穫を祝う秋祭りという性格が強いようです。
コッコデショや蛇踊りが出る長崎市のおくんち(10月8日)や、獅子頭が運行される唐津市のおくんち(11月2日)は有名です。
放生会
放生会(ほうじょうや)とは生き物の命を大切にしようという願いを込めて、魚を放流する行事で、各神社によりいろいろな時期に行われていますが、秋に行うところは多いようです。
「チャンポン」と呼ばれるビードロ細工の復古品が初日に販売される福岡市?筥崎宮の放生会(9月12-18)は有名です。
高山の秋祭り
高山祭といえば、カラクリ人形の出る屋台の運行が有名ですが、基本的に春の山王祭(4月14-15)と秋の八幡祭(10月9-10)に分かれます。秋の高山祭には11台の屋台が出ます。
歴史的には17世紀半ば頃に始まったようですが、今のように屋台が出て豪華になったのは19世紀に入ってから。特に幕末頃に財力を持った旦那衆が屋台作りの工匠たちにわざを競わせて、どんどん精密かつきれいなものになっていったようです。
神嘗祭?新嘗祭
伊勢神宮の神嘗祭は10月17日に行われます。これをうけて今度は11月23日に宮中で新嘗祭が行われます。
これはいづれも今年取れた稲を神前に捧げ、神に収穫を感謝する行事です。特に新嘗祭は年間の宮中の行事でも最も重要な儀式であり、特に天皇が即位してから最初に行う新嘗祭は大嘗祭と呼ばれ、大がかりな行事が行われました。
昔は新嘗祭が終わるまではその年の新米は食べないという人もあったようです。
しかし今は新暦で日程を決めているのでいいですが、昔旧暦でやっていた頃は、もう寒くなってから新嘗祭が来るというとんでもない年もあったようです。
出雲神在祭
陰暦の10月には日本全国の神様が出雲に集まって会議を開きます。その間全国は「神無月」になるわけですが、出雲は「神在月」です。
1999年の神在祭は11月18日~24日です。
相关的主题文章: